おひとりさま映画?

美波さんの日記にて「お一人様映画デビューはいつだっただらうか?」しばし自分内メモリー検索さかのぼる。たいした映画ファンではないので、駄メモリーばかり多くて、なかなか思い出せない。

でもたぶんコレかな…

高校一年、二年?のときの「転校生」、場所は東京 中野 武蔵野館、だったかと。

当時わたしは大阪在住だったが、母方の祖母が東京は阿佐ヶ谷に住んでいた。この祖母は私が17歳のときに亡くなっている。それまで、毎年夏休みには東京にあそびに来ていた。

「転校生」大林監督作品は、封切り時、友人と観に行った。中3の春休み?(大阪で)

これを観てはまった私は、もう一度観たいとずっと思っていた。

当時(という言葉が多いな…)いち早く使い始めた友人家庭よりは、一年くらい遅れをとって、ようやく自宅にビデオデッキ(マックロードとかいう名前)を、父親が買い求めた頃のこと。まだ、ビデオレンタルはポピュラーになる以前の時代。

気に入った映画を観るには、新聞のテレビ欄か、テレビガイドで映画をくまなくチェックするか、ロードショー落ちの映画館でやっているのをチェックするしかなかった。当然自力。目と根気とタイミング要。

ロードショーされた映画が名画座にかかるのも、かなりな時間がかかったし、なにより高校生が映画を観に出かけれるのは、近場に限られていたから、いくら探しても、徒労に終わった。

そのころ、まだ関西版ぴあは発刊されていなかった。(1985年発刊らしい)

でも東京版はもちろんすでにメジャーであった。(72年創刊)

東京にあそびに行って、本屋でぴあを買い求める私…っていうのに少し酔いしれたのは言うまでもない。

私は、高校生の頃、バイトもしていないし、臆病なだけの女子高生で、今から思い出すことは何もない。

そもそも東京には子供の頃から毎年(おばあちゃんの家に)行っていたので、東京には格別の思いがあるが、繁華街で遊ぶというイメージは全くない。イトコたちと遊ぶことやおばさんちの犬に会えること、春木屋のシナ蕎麦を食べること、阿佐ヶ谷の七夕祭りをみることがメイン。ほかは原宿と横浜元町に行ければうれしい…かな…。

イトコが毎日相手をしてくれるわけじゃないので、なんせヒマ。ぴあを買って、観たい映画を探すともなくみていると「転校生」を見つけることが出来たのだ。ラッキー。

場所は阿佐ヶ谷にほど近い中野。ここなら一人で行けるかな。

ぴあに掲載されている地図を頼りに行ったのを覚えている。

思いの外小さな映画館で、他にかかっている映画の看板が、ピンク映画ではなかったか、そこらへんの記憶はすでに定かではないが、やたらドギマギしてチケットを買ったところまでは覚えている。

それがわたしのおひとりさま映画の記憶だ。

ところで、今回検索したら、私の出かけた中野武蔵野館で転校生を観たという人がいたから、わたしの記憶はまちがってはいないのだろう。だが、中野武蔵野館という映画館は、すでにこの世になく、「武蔵野ホール」と名前を変えたらしいが、そちらもすでに閉館している。うん、たしかにこんな感じの場所だったかも。おぼろげ。

映画「転校生」についてだけど、

子供の頃からケストナーの「ふたりのロッテ」なんかの、とりかえばやものが大好きな私にとっては、

胸躍る、永遠のドラマだ。「ジュブナイル」って言葉がロードショーのときのキャッチコピーで使われていて、何度辞書を引いたことか。結局当時はよくはわかってなかったけど。現代のwikipediaにはこう記されています。なるほど。

小林聡美さんはこの映画の前に金八センセイに出ていたんだけど、この映画から、他人と思えなくなった。(いや、他人だけど)(感情移入してしまってた…勝手に好きで)

大学生になって、彼氏と尾道も行った。たしか、どこかへ行った帰りで、たまたまだったわけだけど、商店街を歩いたら、あぁ自転車で疾走してた商店街だ、とか鉄道の袴道橋を見ては、ここをすごい脚力で駆け上がってたな、とか、くねくね道を歩いたり、あぁ、あの例の階段のある寺にも行ったような気がするが、、もう記憶が定かじゃないぞな。

それにしても「転校生」ってば、大林監督で今年の夏、リメイク(リメイクではないと監督は言っているようだが)されるようである。舞台は尾道じゃなくて長野。

それにしてもわたしのお一人様映画って…なんかおたくっぽい思い出だな。いひ。

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