0:40 am 年の瀬

関空の日記を眺めて…年の瀬をびしびし感じた、この二、三日。

賀状を投函し終えたとか掃除中という日記もちらほら。

28日は仕事納めの方が多かったようで、

「あら、まだ31日まで4日もあるよ…」なんて

会社勤めから遠ざかってる私(しかも季節感もなくなってる私)は思って、そんな自分に驚いたりして。(勤め人の頃は、よその会社が、自分の会社より一日でも休みが長いと、めちゃくちゃうらやましがったものだった)(ふと思い出したが、私が東京での会社勤めを辞めたのは、息子がお腹にいたあの年の暮れの仕事納めの日、午前休みして、年内最後の産科の検診に出かけて、そこで胎盤の異常が見つかって、そのまま、出社はおろか家に戻ることも許されず入院(&休職→退職をやむなくされた)のだった、忘れてた。そんな慌ただしい年の瀬もあったもんだ)(→そして12年後の年の瀬は、嵐の前のしずけさ!のように穏やかに過ぎていこうとしている。だれが想像しただろう)

(と、脱線したが、)

仕事納めの後は、郷里に帰られる方も多いようで(自分の所帯を持つ前の、帰る場所がある方が多いということかな…)また、そうでなくとも、年末年始はパソコンにさわる時間がなくなるということか

ご丁寧に暮れの挨拶を済ませて(関心空間をも)暇をとる人が多いようだ。

去年の暮れも、不思議な気持ちになったものだ。

顔を合わしたことはないけど暮れの挨拶。関空だけじゃないんだろうけど、ネットって社会なんだなあ。…というか、それだけ、生活の一部に馴染んでいるか、ということなのか。もちろん、わたしもどれだけ関空に時間と気持ちを費やしたことか、この一年はまるまる。弱くなった気持ちをここで、(人の手を借りて)立て直すことも多かった。そして逆に弱気になっている人がいれば、気になった。実生活とほとんど変わらず、(いやむしろリアルよりも)親しい感情や心を砕いてむきあう人が何人もいたりする。ただ、私は、それが一時のムーブメントにすぎない(かもしれない)ということも、よく知っている。シニカル?いや、実生活でも、たぶんにそういうものだ。

でもさっき、ふと思ったが、ネットの世界は、実世界とくらべて、やはり広い。足で歩いてとうてい出会えない人と出会える不思議。受け取るメッセージもピンポイントで、心に来ることも多い。

(と、脱線したが、)

私は年賀状も書かなかったし、大掃除はやったほうが気持ちはいいなあと思ったけど、結局いつもの掃除どまりだし、あいかわらずのんびり過ごしているよ。大晦日も三が日も、いつものペースなんだろうな。(NHKはつまんないのを確認するためにちょっと見ちゃうと思うけど)この国は、1日がナショナルホリデーなだけで、普段となにも変わらないからね。わたしはわたしのペースで、今年の残り3日間をありがたく過ごすことにするよ。でもせっかくだから、ちょっと特別な気分で過ごしたいな。そう、せめて清々しい心で過ごしたい。

もう日本の早足にはのろい私には追いつけないけど

今年を振り返るってことは…するんだろうな。ここぞ、というとき「まとめ」や「けじめ」を誰に言われなくてもする…日本人だなあーと思うときだ。あと3日で…とかカウントダウンして追い詰める(というか、自分で追い詰まる…)のが好きな人たちなのかもしれないなあ。そしてちゃんと成果を出すところが(大掃除をし終えたり、おせち作ったり、正月の用意したり、郷里に帰って親孝行したり友達と遊ぶ約束したり)やっぱり日本人てしっかり者だ。今のわたしはすっかり脱線してるけど。

年の瀬の慌ただしさ加速は、まわりを見て、自分を見る(くらべる)からきっと加速してくように感じるんだなあ。はやくことをする人もいれば、ゆっくり何もしてないかのような人もいて、人生ってそんなもの。しっかり者になりそこねた、人の戯言。そんなことを思う今年の年の瀬。