恐怖
何の変哲もない日曜日、
ゆっくりと一日がスタートし、ほとんど午前中が終わろうかというくらいまで寝坊の息子を起こし、遅いブランチをしたあと(日本との時差は一時間)がさごぞとインターネットをのぞいていたとき、
ニュースを知った。秋葉原の事件。
Yahoo!の短い見出しでは、なんのニュースかわからなくて、最近は毎日めまぐるしく一番トップにくるニュースが変わるから、これはいつのニュースなのかしら?知らないけど、と思ってクリックする。
知らなければよかったと思うほど、衝撃だった。
最近も何度か通り魔事件のニュースは知っていた。けれど、実際、自分が歩いたことのある場所、イメージができる場所で起こった事件か、そうでないかで、ゲンキンだけど、これほど衝撃具合が違うとは。
知りたくないと思いながら、新しくニュースがアップされると見てしまう。そしてものすごい怖さを感じた。
怖くて怖くてたまらなく不安になり、東京に住む人に電話をした。もしや近くで巻き込まれていないかって、急に不安になったのだ。その人はそっけないくらい平気だった。「どぉもー」って言った。どぉも、っていわれて困ったので「元気ですか」って途切れるほどの声で聞いたら、「おかげさまで」と言った。なんにも「お世話」してないのにそう言われて、変な気がした。‥ともかく、拍子抜けするほどで、他に何も話すことがなかったのでそそくさ切った。かけなければよかった、と思った。
過度に不安なとき、だれかにそばにいてほしいと思う。だれかの体温をそばに感じたいと思う。となりにいてくれたら、ただそれだけで気が休まるのに。人間てそういうものなんだな、と思った。安心したい生き物なんだよ。
日本から遠く離れた場所にいて、なぜこんなにこわいと感じるんだろう。すごく滅入った。友達の家に遊びに出かけた息子のことをはやく顔を見て、触れたかった。迎えに車を運転するのも緊張するほど不安だった。自分のことでもないのに。
関空の日記にこの事件のことを書いた人はすごく少数だった。みな、自分の日曜日を遂げていた。もちろんニュースに動揺もし、恐怖も感じたのかもしれないが、日記に書く人はいない様子だった。
そうか、そういうものか。でもふしぎだった。私が過剰なのかな。
夜、息子が寝付くまでいろんな話をした。となりにいたかった。そしていろんなことを思い出した。いろんな時々でのいろんな気持ちを。
「寂しい」っていう感情は、人間にとっていちばん苦しい感情なんじゃないかな、そんなことを思った。
明日という日が、無惨な形で、突然もぎとられてしまった人たちのことを思う。痛い。例えようがない。
ご冥福を祈る。祈られるのがなぜ私なんだろうと思うだろう、もし私なら。
もうこれ以上、こういう事件が起こるのは嫌だ。