0:11 am こちらで思うことなどなど

この南国で車を運転するようになってから気づいたこと、

なりふり構わず、左からでも右からでもむりやり追い越していくような、自分が先に行くことしか考えていないキケンなドライバーに会うこともある半面、のんびりさんもひっじょうに多い。

”急いでいるの~アナタ~、それならどうぞ抜かしてお先へお行きなさ~い”とでも言ってるとしか思えないほど、マイペース(すぎる)走りをするドライバーも多い。

というか日本なら「他の車の流れに乗る」というのが必要なマナーとしてたたき込まれていますからね。低速走行はなにか車に問題でもない限り?って感じですね。そんなマイペースな走りを日本でしたら、ガン飛ばされるだろうな。(わたしなら飛ばす)(飛ばすのか)

私も、日本人なので、あまりにトロい車を見ると、イライラしますし、余計なお世話ですが、どんな人が運転してるのか確認したくなってしまいます。(日本ではまちがいなく、確認される側にいたはずの私なんですが~)

ですが、一向にみなさん、マイペース。早く走るもマイペース、遅く行くのもマイペース。うふふのふ~ってな感じです。

日本では、みな標準的な運転技術は身につけてると思います。それなりに免許をとるのも大変だしね。

でも、なんか、ハンドルを握ると本性が出る、みたいな言葉もあるように、

一様にカリカリしてるような気がするんだけど、どうだろうか。(無意識のうちに)

それは凡庸でなく、シャープだということでもあると思うけど、だれもが平均的で、ソツがなく、

その点では、自分より少しでも劣るところがある人、自分が理解できにくい人を見下し気味だったり、異なるタイプは、安易にみとめないところがあるような気がする。

というのも、マレーシアで走っていて、自分の中にそういう冷たい部分を見つけることがあるから。

(補足すると、マレーシアで自分と異質なものに拘っていたら、それこそ生きていけない。持って生まれた宗教も、人種も、生活基盤も、なにもかも違うものだらけだから)

車を運転しているときに思ったことにすぎないけども、

でもあんがい、何事にも言えるのではないかしら。

日本を外から見てあーだこーだと難癖をつけている?のではなくて、こういう部分の反対側の部分(つまり、平均的にデキル人も多いということ)があるからこそ日本という国は発展してきたのかもしれないとも思うのだけど、なんだか自分で閉塞してるようなおもしろみのなさも感じてしまうのです。

開発途上国と先進国の違いといってしまえばそれまでだけど。ただ、人の気持ちは洗練されてるのか?というとどうなんだろう。

余談だけど

関心空間という場所をとってみても、ここは他に例をみないほど穏やかでスマートなコミュニティだと思うのですけど(といっても、わずかのことしか知りませんけどね)同じようなことを感じるときがあります。

(ごく稀に、「触らぬ神にたたりなし」って思ってしまうような場面にでくわすときがあります。こんなことわざがすぐによぎる辺り、わたしは実際「ことなかれ主義」な人間であるんですが。日本人がどうとかこうとかいう問題以前に。)教養がいくらあっても、(あやまりとかあやまち、の本質は別の話題として)どちらか謝る謝らない、ではなくて、他人をゆるす(他者のスタンスを認める)という気持ちになれなければ、決して自分も理解されることはないのではないかしら。ある程度の鷹揚さ。

わたしにとっても耳が痛いはなしです。ゆるせない、というか、譲れない部分で意地張ったりするから。

最近の私の心を捉えてる言葉のひとつに「多様性」っていうのがあります。英語でいうところのdiversityって単語、私は知らなくて、こちらに来て知った言葉のひとつです。(白状すると”diver”ダイバーの”city”町、だと思ってた間抜けです。)日本語の辞書によると「多様性」の他に「相違」とも書いてあります。

そ、今のわたしにとっては、「相違」がないこと、それがほんとうにたまらなくつまらなくて、魅力にかけることなのです。

それから自分に関して言えば、もっともっと自分に素直になりたいです。なにをいまさら、スナオって?って感じですが、もっとダイレクトリーでシンプルなものの考え方をしたい。

そんなことをうつらうつら寝ぼけまなこで、書きだしたらとまらなくなりました。

うふふのふ~。