1:26 am まとまらない日々
わたしのしたいことはなんなのだろうと
考える。そろそろ ねんぐのおさめどき。
否、レンズを絞って、ピントを合わせよう。ピンぼけの日々はおしまいだ。
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うまれてから、インプットされたことがないものは
どうしたってアウトプットされることはない。
とくに。いつくしむきもち、かける言葉。えらぶ言葉。態度。
あの人は…などと思うけど、もはや不毛というものだ
わたしにしても インプットしてさしあげられなかったということだ
では、わたしは 今まで何をインプットしてきたのだろう。
何をアウトプットできているんだろう。
それを何か 形に変えることはできるだろうか。
そして 私の力になるかな
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美人は三日で飽きる。まさしくそうだと思う。
美人は見ていてほれぼれする(女のわたしでも)でも何度も見てるうちに、美しくて当たり前になってしまう。美しくて、おしゃれで、気だてがよくて、女として申し分ない人がいて、いつ見ても「ほえ~」と思う私だったが、最近、彼女とは話すことがなくなってきた。最初の頃こそは新鮮だったものの。
たとえば不美人だったとしても、おもしろいひと、人の心を読む人は、話す度うれしい気分になる。話しかけずにいられない、うれしい気分になるから。会いたい気分になるから。
ただし、美人は、努力さえ怠らなかったら、たくさんの人を惹きつけることができる。たとえ、三日ごとだったとしても。また違う人が彼女に夢中になるかもしれない。それも真実だ。
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胸元に結婚当時に旦那さんに買ってもらった貴石のペンダントをいつも離さずさげている友人。出かけた先で、石だけなくなってることに気づいた。結局、どこを探しても出てくることはなかった。その時の彼女の落胆といったら…想像できるだけに気の毒だったのだが。とっさに彼女が言った言葉はこうだった
「まーいいや。モノだから!」
「え?なんで?」と思った私だ。彼女は「まーいいや、たいしたモノじゃないから」と言ったのではない。大切にしていた、メモリーの詰まったモノだった。彼らにとって高価なものだとも言ってた。
けど、なくしたのはモノであって、大切な記憶や、大切な人をなくしたのではなかったから、なくしたのが「モノでよかった」と言ったのだ。不思議な人だ。いつも、これ以上ない!ってくらい飾りっ気がなく、そして、いつもニヤッと、笑っている。
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蓄積、というものの大事さ。習慣にしろ、言葉にしろ、なんにしろ。わたしは何を蓄積したんだろう。これから何を蓄積するんだろう。
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あの人のこういうとこは大好きだけど、ああいうとこは嫌い、っていう部分
嫌いだけど、それでもそこも好きよ好きよって、どうして思えなかったのかなあーと思う。
というよりも、昔は理屈なんてなく好き、しかなかったのが、いつのまにか嫌いなところばかりになってしまった。それはきっと むこうもそうで。
それだけは人として 悲しいことだなあと思う。もうほかのことは何も思わなくなってしまったけども。