ねんまつの

雑誌売場にて

…なにもほしいものがない自分に気付いた。

年末進行の、ぶあつく、気合いの入った、いつもより赤色やゴールド、キラキラした女性誌…どれか手に取ってみようかなーと思うものの、

手がのびない。

表紙の芸能人の気合いの入ったほほえみに、ぶるぶると少し背筋が凍る気がする。若主婦時代、毎月楽しみだったあの雑誌も、(もちろんとっくに私の世代ではないけれど)あのパリで暮らしている?女優さん。ぶるぶる。好きな方ごめん。私はぜんぜん興味わかないわぁ。パリで暮らす女優なら岸恵子で十分。

パリなの、イタリアなの、ハワイなの、あぁそうなの、ふぅん。

私はかつて雑誌が大好きな女で、そのため、女性誌の会社に就職した。そこでは競合誌は毎月当然仕事場にあり、仕事として眺めることができた。飽きることはなかった。

勤めをやめても、雑誌好きは変わらなかった。

数年日本を離れた。

異国では異国の雑誌を眺めた。(ろくに読めないくせに)

たまの一時帰国で雑誌を買い求めるとき、心が踊った。だけど、次第に…書店に並ぶ表紙の人の顔が誰だかわからなくなったり、知ってはいても、名前が出てこなくなった。中味をみても、つまんないなーと思っている自分がいた。

ファッションに興味がなくなった訳ではない。(まーファッションのほうは私に興味はないかもしれないけど)でも、お仕着せのファッションページに何も感じなくなっただけ。

クウネル、天然生活、暮しの手帖といったものも…たいしてパッションを感じない。買うときはあっても、開かずそのまんまだったりした。

だれだれさんの、すてきな生活、とやらに飽きた。結局作られたものというきがしてしまう。(あまのじゃく)

ひょっとして、暮らしにゆとりがないからだろうか…。(経済的にも精神的にも)

それもありうるが、ひとつ言えること、

雑誌をみて幻想に酔っていた時代は終わったのだ、私の場合。気付くの遅かったけど。幻想。

現実にならない幻想なんていらない。

今は、本が読みたい。

小説でも、随筆でも、評論でも、こどもの本でも。

ゆいいつ、パラパラめくりたいのは旅の雑誌。ただそこに行きたくなるだけの数枚の写真が載っているだけでいい。

どこかを旅したい。知らない土地にでかけるのは、実は非常に億劫でもある。

その面倒くささを超えるほどの、突き動かされる何かに支配され、旅じたくするときを待っている。

それがわたしの今ふつふつと感じる幻想。そういう幻想なら持っていてもいいかな。

→そうそう…添付の画像は今年一年使っている卓上カレンダーの今月12月の写真。このカレンダーはマレーシアの日系引越会社の営業の人にいただいたもの。

日本の美しい風景写真なのだけど、「岩室村(新潟県)」なのだそう。聞いたことのなかった地名をマレーシアでもらったカレンダーで知る…。

そしてとっても夕日?(朝日?)がきれい。あぁそんな場所に行きたい。だからこの地名をインプット。。。

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