不惑
先日いただいた誕生日のメッセージの中に
「不惑の年へようこそ」という言葉をいただいて、ふと…「不惑」という言葉が気になった。
「不惑」というのは「まどわない」ということ…論語のことばだ。
論語についてはほとんど何も知らない。子供が小さいとき通った合気道道場で、毎回お稽古の前に
正座をして論語を唱えて、そのあと先生のお話を聞いたのが、出会いといえば出会いだ。子供たちが意味はわからずとも、大勢で「三十にして立つ!」とか「人知らずして慍(うら)みず」とか声を張り上げていたのが鮮烈に印象に残っている。
そもそも論語とは孔子(紀元前5世紀頃の中国の思想家)のメッセージを弟子たちがまとめたもの。
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子曰、吾十有五而志于學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲、不踰矩。
子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
**(読み)
しのたまわく、
われじゅうゆうごにしてがくにこころざす。
さんじゅうにしてたつ。
しじゅうにしてまどわず。
ごじゅうにしててんめいをしる。
ろくじゅうにしてみみしたがう。
しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがって、のりをこえず。
**(英語訳)
Confucius said:"When I am fifteen, I aspired to learn. At thirty, I can be independent. At forty, I am not deluded. At fifty, I knew my destiny. At sixty, I knew truth in all I heard. At seventy, I could follow my heart's desire without overstepping the line." ★
「四十にして惑わず」である。
いやはや、惑うことが続出の今日この頃なのであるが…。
ともかく、「まどわない」…なんていい言葉なんだろう。
やけに心に響いて、
論語についての書物は残念ながら手元にないので、ネットでさまよっていたら
もうひとつ気になる言葉を見つけた。
「學而第一」16に
子曰、不患人之不己知。患不知人也。
(**読み)
し、のたまはく、ひとのおのれをしらざるをうれへず。ひとをしらざるをうれふ。
(**訳)
先生がいわれた、「人が自分を知ってくれないことを気にかけないで、人を知らないことを気にかけることだ。」
(**英語訳)
Confucius said:"Do not be concerned about others not appreciating you. Be concerned about you not appreciating others." ★
あぁこれだなあ。この世の中は自分の思い描いた通りにならないことばかり、と惑うことばかりの私なのだが、では、私は周りを見ようとしていただろうか。自分の我を通さないと悔しいとばかりに、自分を振り返ることを忘れていなかったろうか。
そんなことを思った、不惑の年のほんの始まりであった。
”そうこれからは惑わない”