親友

「親友」って…なんだろうねぇ。

ってイイ大人のつぶやきとは思えないか。ふふ。

先日、ぼやっとテレビを見てた。NHKBShiの「わたしが子どもだったころ」というの。

はじめて見た番組だったけど、ちょうど小池栄子の回で、彼女の地元の下北沢へ電車で向かうところから

カメラは廻っていた。カメラマンと対話をしつつ、昔を思い出すような格好で、シモキタに到着。テレビで見る人が、だんだんと魔法がとけて、ふつうの人へと戻っていくような、まるで自分の知り合いだったかのような気持ちになってくる。彼女はシモキタのパチンコやさんの娘さんであることは聞いたことがあったけど、

ほんとにその場所へ案内している。へぇ、開けっぴろげな番組なんだなー。

彼女がどんな子供時代を過ごしたのか、どんな人だったのか、話しをしながら、思いを馳せながら、時折、回想ムービーみたいなのが入る。再現フィルムってやつか。それもなんか懐かしくて可笑しい。45分くらいの番組で、カメラワークと再現フィルムで構成され、なかなかにゆっくりとした番組だった。子供時代は、だれにだってあった訳だから、誰が見ても、なにかひとつくらいは、思うトコロが見つけられるかもしれない。小池栄子さんは、なかなかに正直で、かざらない、さらりとした雰囲気だ。(私は人間くさい人が好きなのだ)

その再現フィルムの中で、彼女がよく通った駄菓子屋のおじさんとのくだりが、心に残った。

友達とうまくいかない、友達ができない彼女が「おじちゃん、親友いる?」と訊ねるのだが、

おじさんは一呼吸おいてから「親友なんて…めったなことじゃ言っちゃいけねぇ」と言うのだ。

私は「親友」なんて、そうそう簡単にはできないってことを言ってるんだと思ったのだが。

私も、そういう気質なので。

小学生の頃は、「親友」というヒビキに惹かれて、単に幼なじみを「親友」だと思っていたり、当時、気が良くあって心をゆるせるのは彼女だけ、という友達を「親友」と思っていたけど…

結局、「親友」ではなかった。

今、我が子のまわりをみても、いつもクラスでつるむ友達関係とか、個性の強い子にくっついてるコシギンチャクとか、いっしょにいる人をベストフレンドだと思う嫌いがあるが、、、、

一緒にいると楽しくて、気があって、大好きで…というだけでは、親友ではないなぁ。(少なくとも私にとっては)

なにか苦しさ、つらさ、そういったものに出会ったときに、どういう形であれ、すすんで、その苦しみを一緒に持ってくれる人かなあ。だから親友も伴侶も、大切な人は、そういう人ってことになる。

だから滅多にいる人ではない。そう簡単に「親友」って思えなくても当然なのだ。

なにしろ、自分ひとりでは持っていられないような苦しい経験もないときに、友達のありがたさなんてわからない。

親友もはじめから「親友」だった訳ではなくて、ことあるごとに、近づいていくものだな「親友」ってものに。だんだんとわかってくるものだな、大事なことは何かってこと。大人になっても現在進行形。

そして私は大切な人の苦しみを一緒にもってあげられているかなぁ。

そんなことをぼんやり考えた夜だった。

ちょうどバースデーカードを贈ってきてくれた親友と、昨日の朝、電話をしたところだったので、書いてみた。