11:22 pm 「ごましおを発明した人は天才だ」

ここしばらく、めずらしーく毎日日記を書いている。いつも思いついたときにしか書いたことがなかったのだけど、毎日書くと、穴をあけるのが嫌になるものなのね。(いくらずぼらな私でも)

なので、今日も書く。…ところで、被ブクマ数が1減った。ぐふ。(いや、厳密にいうと、こないだ+1になったあとに、-1、そのあと再び-1だから-2だ。ってそんなこと覚えてるくらいなら財布の中身の整理でもしなさいよ>自分) これの役割ってなんなんだろうな、と思ったりする。よそのブログで関空みたいにマイページ(個人管理ページ)じゃなくて表のページに「このブログの読者数は」みたいな表示もあるけど…。多ければ気にかけて更新が増えて、活性化するのかな。まー、たまに気づく分には、参考になる(なるのか)けど、マイページ開くたび毎回目につくのは励みになるとか嫌とかいうよりも、正直うっとおしい。(ナイス営業ウーマンにはなれないわけだわ、わたし)

と、そんなことはどうでもよいことで、今日は、英語クラスに行った。私は、英語英語とたびたびほざいてるけど、実際、英語をしゃべることがかなり苦手だ。いろいろトライしたり、しゃべりたい気はあるんだけど、どんどんヘタクソでどうしようもなくなってる気がする。アンタは、英語ができないんじゃない、文法はよくわかってるし…oralのプロブレムだけだよ、と仲間に言われる。(そう、仲間はとっくに気がついている)そうなの、わたしは頭デッカチなの。机の勉強は受け身だから好きだけど失敗が怖くて実践が足りないの。それでもだいぶ変わってきたんだけどね。しゃべりがダメ…最大のプロブレムだよ。ふーむ。

と、うなっていてもしょうがなくて、今日は、赤飯を作った。餅米(といってもこちらの長い米だけど)で中華ちまきが食べたかったけど、買っておいた小豆があったので、赤飯にした。なにもお祝い事はない。わたしが赤飯を作ったのは、おそらく、人生で二回目だ。前回は、本に従って小豆じゃなくて「ささげ」をわざわざ買ったのを覚えてる。便利な時代だな、こんな異国でも、ネットでちょちょいで、作り方がわかる。それも自分がトライしたいレシピがよりどりみどり。蒸してるうちに、餅米のいい匂いがたちこめた。わたしの赤飯の思い出は…母が作ったという記憶はなくて、たびたび買ってきてくれた。専業主婦だった母が働き始めたのは、私が小学校高学年の頃のこと、仕事の帰りにデパ地下で、おいしくってそこそこおねだんがいいものもしょっちゅう買ってきた。夕方、自分の帰りを家で待つ子どものために、湯気があがってる「おこわ」、人気があるコロッケ、おいしい○○のお菓子etc、すぐ食べられて、喜びそうなものを運んできた。夕飯の足しに?自分がラクをしたいからもあっただろうけど、仕事を終わったひとときに、子どもと食べる時間を楽しみにしていたのかな。自分の働いてきた分、つい気持ちおおらかになって買ってきてしまう母の気持ちが今はわかる。母はなぜ働いていたんだろう。ありあまってもいなかったけど、せっぱ詰まっていたわけでもなくて。仕事はすこぶる楽しかったみたいだが、体をこわしてやめてしまった。中途半端な贅沢を享受することもなんとも思わなかった娘=私だが、彼女と同じくらいのネンレイになった今のわたしはどうなんだろう。えらそうなことは何ひとついえないし、それをどうしようとも思わないけど、赤飯のかおりで、母のわたしへの愛情のひとつの形だったんだな…それだけはよくわかる。たとえ買ってきたデパ地下の赤飯だったとしてもさ。  今日の赤飯は思いの外美味しくできた。息子は、ごましおを切らしてたことを悔しがった。そして「ごましおを発明した人は天才だ」と言った。ごはんものは日本人のメインテーマだと思う。