この日こんなこと考えてた

前日、ひさびさに落ち込んだりしていて。

小学校の頃だったか中学の頃だったか、もう記憶は定かじゃないのだが

自分を楽しくするのも自分、楽しくしないのも自分、自分のお守りは自分で見ないと…なんてことを日記に書いてて

なんだよ、今の(もうすっかりきっぱり大人なネンレイの)わたしより、ずっと大人っぽいこと言ってるじゃないよーと遠く思いを馳せるのだが

そんな私であっても、単純になにげなく放たれた言葉(あるときは口頭だったり、あるときはメールの文だったり、いずれにせよ気持ちって簡単に表れて見えてしまうものだと思う)に、どうしようもなく救いのない気持ちになり、抗えないことが今もあるのだ。残念ながら。たいていは、「へんっ、アンタなんか眼中にないんだもんねっ何言われたって平気だもんねっ」ってカンジで、知らん顔で通り過ぎることができるんだけど、なぜだか、どうしても素通りできない人ってのが、人生においてできてしまうものなのかもしれない。

わたしにとって鬼門な人の一言で、どうしてそんなに平気で人を傷つけることができるのかなあ、こんなふうに言ったあとで、自分はすっきりしたつもりなのかなあ…などひととおり、ひどく葛藤?逡巡?したあと、

いくら私が、どう思っても、(その)人を変えることはできないんだなあー

うん、あきらかに無理。

だったらもうやめよう。くよくよすんのやめよう。わからせようとするのもやめよう。時間の無駄はやめよう。

よく聞かされていた言葉だけど、じぶんが変わるしかないんだな、と。ようやくわかった気がしたわ、その意味が。

いままでは、「自分が変わる」なんて、嫌だと思っていた。責められるべき部分は変える努力はしても、それ以外は変えたくない、って本気で思ってた。だって変わったら自分じゃなくなるって。

そうじゃなくて、きっと。意味が違うのね。自分の立ち位置やら、見る方向やら、気持ちのベクトルから何から全部変えるということだったのだと。もうその人に気持ちで立ち向かうのをやめよう、そして自分の思う方向を向いていよう、真摯に。いつの日か結果は出るのではないかと

ともかくその日まで、元気で生きていよう、なんて。

その人とはおわったのだ、もう

そんなふうに思ったら、なんだか荷が下りた気がした。そしてちょっと笑ったわ。

※画像 朝の月

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