テュリャテュリャテュリャテュリャリャ~

金曜)ハマチ学校でイベント、楽し。私はこの学校が好きだな。自分の学校でもないくせに。でも「好き」という気持ちって‥いいもんだな。夜、映画へ。アイアンマン。

土曜)午後、ハマチが通った小学校にてイベントあり。私の大好きだった(ハマチも大好きだった)担任の先生と再会。私がはじめて「彼女みたいな人になりたい!」と思った大人の女性だ。そういうことってテレビに出てくる人にも思ったことがないし、今までの自分にはなかったのに、なぜなんだろう。そう、そんな自分に興味津々。

日曜)夜、ひょんなお誘いでバイオリンを聞きに行くことに。ホントは、気分がダウナ~だったので家にかじりついていたい気まんまんだったのだけど。でも、最前列だったので、まるで私のために奏でてくれるかのような生バイオリンとピアノに‥まばたきもできず、涙が出そうなほど、心が真っ白になった。前の晩に、NHK假屋崎省吾氏が「美しいものに囲まれて暮らしていたら人を傷つけようとしたりはしない」みたいなことを言っていて。いつもの私は、「ホントかよ」と悪態をつきそうなのだけど、バイオリンを聞いているときに、なぜかその言葉を思い出した。私は自分の子どもに美しいものを見せる努力もしてはいたけれど、そうでない部分、世の中の悲しい部分もたくさん見せてきてしまった、とすまない思いに駆られながらバイオリンを聞いていた。クラシックを聞かせて育てれば情操豊かな子どもに育つ、なんてそういえば、昔まことしやかに言われたものだが、方法としてクラシックを聞かせて育てるとしたら陳腐なことだし、私には興味はない。でも‥わたしたち(大人たち)は今、子どもにいいものを見せることができているだろうか。末恐ろしくはないだろうか。

月曜)コーヒービーンにてネットにつないでみるも、へっぽこノートPCめ、立ち上がるまでなんだかんだ一時間を経過。勘弁してくれ。

火曜)知人Aと話をする。彼女はストレスがたまっているのではないだろうか。なんて人の心配ができる身分でもないくせに。「このくらい平気だ」とか「自分が我慢したほうが楽だ」と自分の気持ちをだましだまし動かすのは最善策ではない。今だから思うことだけど。

水曜)健康診断結果が出る。わかっていたこと以外のことは何もなかったので、とりあえずはホッとする。医師に「おいしいと思うものは減らして、(自分が)おいしくないと思うもの(すきではないもの)を多く取るように」と言われる。おもしろい言い方をする先生だ。わかりにくいけど言い得ている。(私が好んで食べるものはヘルシーじゃないものが多いから)スタッフと仲良くなる。インテリジェントで気さくな人。世の中には、聡明な人は実にたくさんいるものだ。日本では、「賢さ」のバロメータは知名度のある大学出身だったり会社勤務だったり、人にうらやましがられるようなポジションだったり、ということになるのかもしれないが、市井の人にとってありがたい人こそ「聡明」なのではないだろうか。そういう仕事に出会いたい。いい刺激をありがとう。このあと、用事を思い出し、たった一つのものを手に入れるのに、町中の6軒ものスーパーをハシゴし、さまよい歩いたが‥とうとう見つからず、めちゃくちゃ疲れた。教訓;この国では、ほしいと思った物は見かけたときに手に入れろ。次に買おうと思って、あったためしはない。

木曜)ヨガに行き、午後の英語クラスをサボる。(先週と同じパターン)私はあのクラスを「好き」だったけど、もはや今は「好き」ではなくなってしまったようだ。「好き」という気持ちがいかに人間を動かす上で大事なものかを知る。

金曜)関空にログイン。あれだけ毎日書き込みをしてきた私が、ログインさえせず、眺めることもしなかった。なので、めちゃくちゃ新鮮で、ほどよい孤立感が(自分の中で)かえって快適にも感じた。夕方、「元気にやっているの?」というメールが。元気でないことはないけれど、それはほんとうの意味で元気なのか、と思うと返事ができない。なので放置。でもそんなふうに訊ねられたことは今までなかった気がする。本人は気づいていないだろうけど。夜、ハマチは友人宅にスリープオーバー。ボーイズ4人のゲームナイトは夜更けまで繰り広げられたらしい。

土曜)午後、ハマチはクラスのパーティに。楽しそうやなー。(よく疲れへんなあ)以前の私は、ガイジンペアレンツと話をするのが苦手で、考えると胃が痛くなるほどの気の弱さだったのだが‥思えば、いつのまにか変わった。めちゃくちゃでもええやん、人間同士、話してナンボなんちゃうん、と思えるようになってるかも。強くなった訳ではなくて、気を許せば、影にかくれてしまいたくなる気の弱さは今もあるんだけど、「コンタクトしない」という選択が自分の中で許せなくなった。ただそれだけ。

日曜)パーティ。久しぶりに友達とたくさんしゃべった気がする。ちなみにパーティパーティと書くとどんなんやねん、と思われそうですが、パーティ、つまり「集まり」にすぎません。ごはんを食べたり、飲んだり、おしゃべりして、同じ時間を共有するのって、実は大切なことですね。今まであまりに知らなさすぎました。そういうの。パーティも終わるころ、遠く離れた場所にいる友人から電話がかかってくる。いま悲しみの淵にいる様子で「思いきり不幸になってくれないかと思う」と言った。それも一つの憎しみの形だ。私はそんなふうにも思わないけど、すべて記憶が消せるものなら消したいと思う。それも無理な注文だが。

こんなわたしの一週間。

なお、関空断ちしていてどうだったか。(前の日記でお問い合わせがありましたので)

結構バタバタと過ごした一週間だったので、関空を見ないのは、精神衛生上、快適でした。(どんなんやねん)(「見ない」と決めたことでスッパリと)他のなにかをしたいと思うようになりました。そしてなんでもできるって前向きな気持ちになりました。(というわりに中途半端にしかやっていないけど。それはまた次の課題で)

ただ、メモ的に思いをつづることがなかったので、ひらめきや思い、すぐに消え去ってしまった気もします。例えば、「仕事って自分でつくるもんだな、会社に勤めるとかそういうことでなく。誰かに雇われるとかいうことでなく。必要に迫られれば自分で作れるものなのではないか」とか思ったのは覚えてるのですが、どういう経緯でそんなこと思ったのか、すっかり忘れてしまいました。テュリャテュリャテュリャテュリャリャ~

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