日記は鮮度が命~大人になると忘れっぽくてさ

さいきん、週末に現れることにしている>関空

別にだからどうということもないのだけど、一週間というのが、今までとまた違う時間の流れ方として感じるフシギ。

一週間、長くなったということもないし、短くなった訳でもない。関空を見ない週日が、充実してるかというと、残念ながらそれもないし。でも、気になるわけでもない。どなたかが書いていらしたけど、いまの関空、人が極端に少なくなった気がする。わたしの関空内での過ごし方は、日記一覧ページを見て、トランプをめくるみたいに、かたっぱしから「これは‥」と思った日記をめくる?のがなによりも好きだったので‥このところ、更新される日記の数自体少なくてつまらない。‥というわけで関空ラマダン(と真琴さんはおっしゃる)中の禁断症状というものもない。

関空ラマダン^^以前は、毎日、自分の空間にその日の足跡(記録)をつけるべく‥言い換えればなんだかそのために生きていたような気もする。(まあ、もちろんそれは大げさだけど)好きなように書き連ねる日記の世界に遊びっぱなしの生活ってどうなのよ?とかややこしくも思ったりして。

というわけで、たまにログインして思い出してまとめて日記を書いてみると、結構しんどい作業なのだ。

思ったこと、書きたかったこと、懸命に絞り出してみるわりに、つまらない。日記の文そのものの出来不出来というよりも、その作業自体あまり面白くない。(と、この日記じたい、昨晩よなかに書き始めたのに、勢いでアップできぬまま、下書きに入ってた。私はたいてい下書きに入れたりすることがないから、なんだか微妙=すでに一度捨てたものを、手直しして提出したみたいな=な感じだ)

やはり日記は鮮度が大切なのかもなと思う。気持ちの鮮度がね。わたしのばあいだけども。あ、でもそんなの当たり前か、日記やもんな。

でも、たとえ絞り出しでも、自分の記録を(あとから)読めるのは、必要なことなんだよね。だって、忘れてしまうんですもん、なにもかも全部。大人になると忘れっぽくてさ。

忘れてしまったほうがいいこともありますがね。(たしか前の日記には「全部忘れてしまいたいー」と書いた。それはまだ忘れていない)忘れてしまいたいことは忘れられずに、忘れてしまうには、もったいない日々の小さな輝きはカンタンに忘れてしまうものなのよね。

というどうでもいい話^^

まあ、気が向いたときに好きなように、書き連ねるのがいいですね。書くのって、書かない時間が長くなるほど、書き方を忘れてしまうみたい。(ほら、やっぱり忘れっぽいぞ!わたし)

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