ろくがつむいか

にUFOが、あっちいってこっちいっておっこちて‥

なんて歌を歌うこどもはもう余りいないのかな‥とか毎年この日になると急に思う‥。

もしくはダミアンか‥。(それも古い‥)

関空ラマダンは今週はしてません。

でも、家にいて、PCがついてるとほぼ一時間間隔程度でチェックしたくなる自分に少しばかり閉口。忙しいはずなのに(さっさと片付けたいことが、たんとあるのに)かえってサボっているのはどういうことか!それならサクサクとKW登録なり日記を書くなり、すればいいのに、ただ、ぼんやりのぞいてばかり。心がすきまだらけ。喝。)

そう、先週末「ヘナヘナ」だった私、今週は、友達と長いおしゃべりしたり、ランチしたり。(きっと誰もそうはいわないけど、気分を替えるヘルプをしてくれたのかもしれない)もちろん、誰かといるときは、いつもの私。でもふっと一人の時間、弱気になって悲しくなったり。そういう自分を客観的に醒めて見てる自分もいて。ハタと我に返る。歳のせいもあるのだろうか。

自分が「平気」と微笑んでいられる状態を作る努力をせずに、弱気になって悲しくなるのは、フェアじゃないよ。ね。(と自分を鼓舞する)

さいきんのメモ

○人間て、得意なことと苦手なこと、両方あって。もちろんなんでも上手にうまいことこなせる人もいるし、何やってもヘタクソで要領悪い人もいるし。けどそれは、ある視点から、そう見えるにすぎない、のかもしれなくて。それは例えば、「わたしからはそう見える」にすぎなくて、違う人から見たら「そうは見えない」のかもしれなくてさ。

人とくらべることをやめたら、どんだけか楽しく生きられるかと思うねん。まさか、「くらべてる」とは思っていなかったさ。人の持ち物をうらやましく思うことは、あきらめが先に立つからさほどでもないのですけどねぇ、「できること(できないこと)」を比べて卑下してることがどんだけ多いか。そこから来るプレッシャーやらストレスやら。はて?なぜに。くらべてもしゃあないやん。持ってるもの(与えられたものも、自分で掴んだものも)も感じ方も、得意なことも苦手なことも‥みんな違うねんから。人(自分が勝手にイメージしてる対象)とくらべて苦しくなるなんてばかげてるのさ。

○おしゃれについての考察。たとえば洋服にお金をかけなくてもいいんじゃないか。アクセサリーがさりげなく主張があるものを(あぁ、あの人らしいと思わせる)センスが光る人にひかれる。

○時間とお金についての考察。何に時間とお金をかけるか、それが大切だ。

○ハマチが大人になってきた。先日、また!サンダルをダメにして、遅まきながらcrocsを買ったのだけどサイズ(メンズ9=ウィメン11)だった。デカイクロックスー。背もこの一年で驚くほど伸びた。(けど、学校で計ったりしてくれないので何センチかわからん)お肌に多少の油っぽさがみられる。そして、反抗期とうらい~。わたしのほうが、もっと落ち着いて接したいと思うこの頃。(カッカしてはいかんー)

○人は、自分がかけられた言葉しか、自分のものにできないのではないだろうか。表現力ということにおいても。自分が成長過程で、周りから知りえた言葉、表現、自分で本やテレビなどで知った言葉、表現。そういったものから特別に突出して異質なものは身につかないだろう。突拍子もない例えだけど、

英語の環境で育ってない人間が、いくら英語の勉強をしても、発想やニュアンスまでも勝手に備わるものでないのだけど、人から実際言われた表現だと結構すんなり使えるようにはなるではないか。

ならば、今さらだけど、人と接するということ、特に子供と接するということはどれほど重要なことなんだろうか、そんなふうに思う。

○最近、空をみあげるのを忘れていた。ふっと思い出した。この町は空が広いから好き。雲が大きいから好き。夕方の一瞬の色が好き。たとえ寂しい気持ちのときでも、思わず見とれてしまう瞬間。ありがとう。

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