0:25 am 日記
昨年九月に、(心の隙間を埋めるために)関空に戻ってきたとき、「日記」があることに気づいた
そう もうとっくに気づいているが、 関空は日記があるから来てしまうのだ 自分のすきなものを並べ、思いを吐露し、個人的なスペースにカスタムしてしまっていて ときおり、これは果たして自分にとっていいことなのだろうかと思うことがある でも結論は出ていない だからいじくり続けてしまうのだ でもいつかふっと 知らない場所へ行こうか
昔っから日記を書くことは好きで、日記を書き留めるために生活してるのか、と思うほどのときもあった もちろん、それは自己満足でいい代物だからだ
感情の生き物で、理論的な思考回路がイマイチな私も、うだうだ書き連ねているうちに
自分の方向指針が…決まることまではしなくとも…落ち着きを取戻し、次に進んでいける気になることが必要なんだろう
昔は、夜、就寝前に風呂上りに 日記帳にペンを走らせてたら
一時間でも二時間でも 体が冷え切って そのあと冷たい布団にもぐりこんだものだ 手も汚れて
今みたいにパソコンじゃないから 書いてるうちに 自分でわけがわからなくなっても
もう推敲する余力もなく、 もうこれでいいや(ばたん)とノートを閉じて、寝たんだった
何を書いていたんだっけ、恋のこと、日々のこと、親のこと どのページを見ても大切で重要で
でも今さら見ると恥ずかしい どこにしまっておけばいいのか悩む 別になくなってしまってもいいさ でも! なくなってしまったら 思い出も全部なくなってしまいそうで
いや、思い出なんて 全部なくなってしまったほうがいいのかもしれないのに なかなか思い切れない
結婚してからは、毎日毎日いつまでたっても慣れることのない忙しさと、その忙しさにキリモミするだけの毎日、ともかく一人ではない日々の中、日記帳に向かい内省するような時間もなく
書くこともなくなった
もう長いこと、そんな習慣からオサラバしていたのだ
ふと気づくと、
日記を書きたい欲求がともすればしのびよってくる私がいる
そうわたしはひとり
ひとりで日記(もう昔ながらの日記帳ではないけど)にむかうと気持ちが研ぎ澄まされる
フラットになる
なにも取り繕う必要はないのだここでは
おもしろくもない ただの日常を切り取っただけでも
それが人生なのだったら それを書き取るのも 生きている価値になる